◆豆知識! 吉生は、江戸時代の初めに生まれた!その8

  本書(『明石名勝古事談』)によると吉生の誕生は、1683(天和2)年以後ということになります。各村の石(こく)高(だか)が書かれていますが、池下村は86石7斗7升、新々田村は143石半に対して、吉生村は12石9斗3升しかありませんから、池下の1/6強しかなく、新しい村の中で最低ランクです。どうやらスタートは豊かな村ではなかったようです。(ここから、この項承前) 

 この後、1691(元禄4)年南村、北村、田井村、小神(現古神か)村を新たに開墾し開村しました。北村は、吉生より遅く開村したようですが、石高は363石7斗5升です。『古事談』の記述が正しければ、ますます吉生村の小ささが目立ちます。

 なお、須藤重太夫はこの労を認められ、子孫累世大庄屋の職に任じられました。松平直明は、神出一円の村民らに神として崇められ、「天ヶ岡村」に神社を建立して祭ったと書かれています。今の岩岡神社でしょうか?

 『明石名勝古事談』第2本の最後には、「神出の城」の項があり城主は神出左多門尉範次で赤松家の一族。わたしは神出中1年時(?)に鹿児島県指宿から転勤してきた○○先生が、「老ノ口」は「追(手)の口」(お城の正門)だと話したことを思い出しました。この話が地名に興味を持つきっかけになりました。

 また、「カタカコの花」という百合根が神出天王山に生えている珍しいので、春花が咲くと根こそぎ持ち帰り盆栽とするので、今はほとんど絶えてしまったとも書かれています。

 次に神出が登場するのは、第3本39頁に「神出東村天道裸石」の項があり、神出の名は大昔素(す)戔(さの)嗚(おの)尊(みこと)がこの地に現れて、神出村と命名したとあります。

 第9本52頁には神出荘の一部を都合により岩岡の一部にしたとありますが、これはどういう意味なのか、今のわたしにはよく分かりません。

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