豆知識! 吉生は、江戸時代の初めに生まれた!その7
今回紹介する史料は、橋本海関著『明石名勝古事談』(中央印刷出版部,1974年復刻発行。原著第1本は1920年(大正9年)発行)です。著者橋本海関は、明治時代の明石の代表的な詩人で、生まれは江戸末期の1852(嘉永5)年明石藩士の子として生まれます。1
4歳の時明石藩講武所詰になりますが、折しも攘夷がさかんな時期で、連日火縄銃やフランス式銃の訓練を受けましたが、文学好きの海関は苦手だったようです。
4歳の時明石藩講武所詰になりますが、折しも攘夷がさかんな時期で、連日火縄銃やフランス式銃の訓練を受けましたが、文学好きの海関は苦手だったようです。
1877(明治10)年海関は兵庫県師範学校教諭になります。明石市忠度町(今の天文町)に住み、郷土明石の歴史を調べ、小冊子にまとめ、知人だけに配布したのが『明石名勝古事談』(11冊)です。その合本が上記の復刻版というわけです。海関の長男が橋本関雪で、日本画がお好きな方にはよくご存知の事だと思います。
本書に初めて神出と吉生が登場するのは第2本45頁です。要約すると次の通りです。
神出荘の開墾/松平直明は1683(天和2)年に明石城主となり、当時荒れ
地であった神出荘の開墾を須藤重太夫に命じた。まずその地を区分して民を移住させた。その時できた村が山西村、池下村、神納村、新々田村、吉生村、南古新田村、北古新田村―この後現岩岡町の村が続く―廣谷村、池田村と命名して、合わせて「新田村」と呼んだ。
本書によると吉生の誕生は、1683(天和2)年以後ということになります。各村の石(こく)高(だか)が書かれていますが、池下村は86石7斗7升、新々田村は143石半に対して、吉生村は12石9斗3升しかありませんから、池下の1/6強しかなく、新しい村の中で最低ランクです。どうやらスタートは豊かな村ではなかったようです。 (この項次号へ続く)
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